NPO法人AABC(アジアン・エイジング・ビジネスセンター)
2008/10/08 18:51:22
まだ人々が長生きできなかった時代には、長生きを目指すことが社会にとって重要であった。自然災害や戦争などによって危機にさらされている社会では、ことさらに長生きできる平和な社会を理想と考える。こうした考えで社会の状態を測る目安のひとつが平均寿命である。生まれたばかりの子供が何歳まで生きられるのかという確率を指標にしたものが平均寿命である。それぞれの年齢にはそれぞれの平均余命があるので、平均寿命85歳の社会に生きる85歳の人々の平均余命はもちろん0歳ではない。
ともあれ、長生きできるようになった社会では、健康に長生きできるかどうかに関心んが移る。こうして開発された指標が健康寿命である。健康寿命は平均寿命より短いのが普通であるが、その差はおよそ6年から8年くらいある。この差が要介護の年数と考えてよい。みんな長生きするようになったとしても、要介護状態が長引くことは決して好ましくはない。しかし現実にこうした状態になる人が多くなる社会では、介護について取り組まざるを得なくなる。先日、上海での国際会議では、どうも上海市はかなり本気で介護保険を検討中のようであった。ドイツ、日本、韓国に続いて、中国が介護保険を導入する日が来るかもしれない。
健康に長生きできる人々が多くなる社会では、その健康で長生きな人々が活躍できる社会をつくることが重要な関心事になる。それがアクティブ・エイジングという政策理念が登場してきた背景でもあろう。その指標として、エイジ・フレンドリー・シティという概念がWHOから提起され、世界の都市がネットワークを組み始めている。AARPも同様なコミュニティ・アセスメントを提案をしている。先日の上海の国際会議で一緒になった国連の関係者は、都市だけでなく、エイジ・フレンドリー農村を提起するつもりだと話していた。ともあれ、日本の「いきがい」、「生涯現役」、「社会参加」とか、欧州でいうソーシャル・インボルブメントなどが語られるのも同じ文脈である。平均寿命や健康寿命と同じようにわかりやすいアクティブ・エイジングの目安を開発する必要があるだろう。
そして、これらの極めた最後の課題が尊厳死である。欧州やオーストラリアなどではすでにこの取り組みが始まっている。しかしそこにはいろいろと文化的な課題が絡んでくる。日本の民俗的な考え方では、あの世にいった者は、定期的にこの世にもどってくる。それを迎えるのが盆や正月や彼岸である。仏教では輪廻を説いている。しかし「死んだら何もかもおしまい」だと考えると空しいという人が多い。死にゆく人にとって尊厳、リビング・ウィルの課題に応える目安を立てることは容易ではない。さらに周囲の人間にとっても尊厳死や安楽死の問題はいずれ避けることのできない大きな問題になるだろう。
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